言いたいことなんてありません。

俳優 佐々木恭平が公演情報とか見た映画とかあと何か適当にいろんなことを書くブログ

久しぶりの街に行ったこと

人に会う用事があって町田に行った。

学生の頃だから、およそ20年前(20年前か!!)にとても良く使っていた街だ。町田だけに。

専門学校に通っていたときの話である。

 

専門学校に入ってすぐに付き合った女の子がいた。

実家にいた頃から連絡は取り合っていたし、専門に入ったら付き合おうと約束していた相手だった。

彼女と出会ったのは、専門学校の体験入学。

体入の内容そっちのけで、彼女に一目惚れした僕は無謀にも帰りのバス停で彼女を待ち、連絡先を聞き出した。

あとにも先にもいきなり話しかけて連絡先を聞いたのはこのときだけだ。

 

ショートカットがよく似合い、すらっとして、高くて良く響く声を持つ可愛い子だった。

僕のショートカット好きはこのときに始まったと思っている。

何より彼女に惹かれたのは、体入中の振る舞いだっと思う。細い体でキリッと立ち、堂々と言葉を発する姿はとても格好良かった。

ヘラヘラしていい加減なことをボソボソ喋る田舎者だった僕はその姿にやられてしまったのだ。

 

彼女は相当驚いた様子だったけれど、すぐに連絡先を教えてくれた。実はわたしも知りたかったの一言を添えて。

やられた。

その瞬間から僕は彼女に夢中だった。

夏休みから卒業までの半年間、毎日メールをし、ほぼ毎日電話をした。

最長6時間くらい話し続けたこともある。何を話していたのか覚えていないが、家族に聞かれないように厚着をして、冬の寒空の下ずっと話していた。

 

ケータイ代が5万円を越えて親に相当怒られた。

何にそんなに使ったのか問い詰められても黙っていたけれど、親から見たらバレバレだったんじゃないかと思う。

 

小学校のときから、母親には一人で生きていけるようにと言われ続けた。そのわりには洗濯も掃除も、教わったというよりは丸投げされていた気がする。

料理に至ってはファミレスでバイトしたことで覚えた。母親は僕に一人で生きるための何を教えようとしていたのだろうか。思い返しても謎だ。

 

中学生の頃から僕の目的は実家を出ることだったから、一人暮らしは念願だった。

わざわざ県内の大学進学をやめて、東京に出ることを選んだ。やったことも、今まで興味があったわけでもない演技の道を選んで。

このときゲームプログラマを目指す道もあったのだけれど、友人の「お前は24時間ゲームはできても、24時間パソコンで作業とかはできないよ」の言葉にとても納得しあっさりやめた。

 

ゲームプログラマを目指すのをやめて、ゲームに出演できる可能性がある声優を目指すと決めた。

学校は惚れた女の子に会うために決めた。

我ながら浅はかにも程があると思うが、思えばずっとこんな生き方をしてきている。あの時の自分を叱ることは今もできない。

 

僕は学校の最寄り駅の隣駅に新築のアパートを借りていた。7畳ロフト付き、風呂トイレ別で5.5万円。

ただし駅からなかなかの登り坂を200mくらい登る家だった。

友人のカップルにセックスをされたり、mixiで知り合った家出女子が逃げてきたり、メンタルをやられた奴らが泊まりに来たり、宗教の勧誘に来た人と3時間話し込んだり、彼女が週5で泊まりに来たりした。

駅前にはコンビニがあり、そこで夜勤のバイトをしていた。直営店だったので廃棄弁当を手を尽くして持ち帰り、級友たちと分け合っていた。

安くてうまい焼き鳥屋があった。線路を挟んでスーパーがあった。そして、先輩の部屋もあった。惑星ピスタチオの破壊ランナーをみんなで見たり、麻雀をして負けた奴が全裸で自販機に酒を買い出しに行かされた。突然電灯が消され、明かりがつくといつも誰かが脱いでいた。

青春というものが僕にあるならば、あの部屋に住んでいた期間のことだと思う。

 

彼女は実家から通学していた。何度かお邪魔したこともある。平家の狭い家だった。彼女の部屋も狭かった。ベッドとたくさんの同人誌と少女マンガ、そしてハムスターがいた。二人で床に座ると膝を付き合わせる距離しかなかった。

小さな声でささやき合うように話をして、両親がいるのにこっそりセックスをした。ハムスターに指を噛みちぎられかけた上にアホみたいに腫れ上がったり、花火大会を見に行ったりした。

 

町田は彼女と僕がいつも別れる駅だった。

僕は自分の降りる駅を通り過ぎ、彼女が乗り換える駅まで見送った。JR町田駅から小田急町田駅までのほんの数100mは、僕と彼女の聖域だと思っていた。

 

デートもいつも町田だった。

聖域で待ち合わせてだらだらと過ごした。

東急の中のヴィレバンを覗き、マクドナルドに居座った。そのまま町田で解散することもあったし、結局彼女がうちに来て泊まることもあった。

 

久しぶりに足を踏み入れた町田は僕の知る町田であり、僕の知らない町田だった。

駅前の景色はあまり変わっていなかったけれど、ちょいちょいいた黒人の怪しい露店はなく、店は知らないものばかりになっていた。

少しフラフラしたときに彼女と入り浸ったマクドナルドがあった。

改装されたのかガラス張りの店舗になっていたものの、当時と同じ場所にあり、そしてマクドナルドの周囲はあまり変わっていなかった。

 

あのとき夢中になって話したことも、誓い合った約束も、重ね合った体も、もう全く思い出せないけれど、聖域はまだそこにあって現実だったんだと思い出した。

 

 

死にたいという気持ちについて。

ここのところずっと頭にあって離れないイメージがある。

包丁を自分の胸に突き立てている。

まだ実行には移していない。かろうじて。

 

自殺を実行しない理由は二つある。

 

借してる部屋で自殺されたら迷惑だろうな、とか

俺の自殺体を処理する人が大変だろうな、とか

誰にも迷惑がなく死ねるやり方が見つかっていないこと。

 

幼少期に母親に泣きながら言われた「自殺だけは絶対にしないで」という言葉の呪い。

 

以前まではここに元嫁と生きていくからという理由があったがそれは消えた。

 

特に母親の言葉は強い。

確か小学6年くらいだったと思う。

近所に住んでいた、弟の同級生が自殺した。

カーテンレールで首を吊っていたらしい。

当時テレビでニュースにもなっていた。このニュースを背景に母親が言ったのだ。

その光景だけは未だに鮮明に残っている。

 

同じ登校班で毎日一緒に学校へ行っていた奴がポカンといなくなった。

転校生が多かったし、自分も転校していたから友達が突然いなくなることは良くあったが、また事情が違う。

しかし馬鹿な頭では自殺という事実をどう受け入れたものかわからず、早々に処理をやめていた。

 

しかしよく考えたらおかしなもので、自殺はするなと泣きながら言った母親は、僕らをよく殴った。

言葉の暴力もあったし、理不尽な怒りにたびたび晒されていた。

物置に閉じ込められる、冬の夜に鍵を閉められ閉め出される、ベランダに放置される、パンツ一丁で外に出されてその格好で学校へ行けと言われたこともあった。

22歳の若さで母親となり、ほぼ仕事人間の父親の面倒を見ながら、しかも自身も働いて、さらに男の三兄弟しかも動物園のようだと言われる騒がしい馬鹿三人を働きながら育てたのだ、その心労は計り知れない。僕らを殴りたくもなるだろう。

もちろん僕らに非がなかったとも思わない。

 

僕は自分の両親を心底嫌いだし、許すつもりも許されるつもりもない。

だが、母親が愛情を持ってくれていたことだけはわかっている。だからこそ、言葉が重い。

律儀に守ってきてしまったのはそのためだ。

 

この死にたいという気持ちが、希死念慮なのか自殺願望なのかは知らない。

漠然と死にたいという気持ちとは、小学生くらいからの付き合いになる。

いわゆる物心ついたときからずっとだ。

幼少期の僕がなぜその発想にたどり着いたかはわからないが、おそらく理不尽に耐えかねたのだろう。

 

生きている価値が無いとか、無能であるとか、そういう自己評価もあるが、自己肯定感が低い的なこととはあまり関係がないと思っている。

自分に価値が無い方が楽だし、別に社会に対して何かを成そうとも思わない。むしろ死ぬためには何かがあると邪魔だと思っている。

感覚としては、楽しいことがあろうがいい出会いがあろうが、それらを感じる器官とは別に死にたいの沼があるといえばわかりやすいだろうか。

もはや何がなんでも死ぬべきだと思っている。

そのくらいに死にたい。

 

本当は死にたくなくて、誰かに助けて欲しいのではないのか。

そう思って誰かに助けを求めたことはある。しかし、話しているうちに「あれ?違うな?」となってくる。

思えば、生きたいと思ったこと、生きていたいと願ったことは、記憶している限りない。ただずっと、今より未来になんらかの予定を設定することで死なない理由を作り、先延ばしにしてきただけだ。

 

ちなみに最近は予定があってもヤバいときがある。

強烈に死にたくなる気持ちが来る周期も短くなっている気がする。測っていないからわからないが。

 

明らかに病人だ。まず病院へ行けという話だ。

わかっている。

だけど、行かない。

なんとか誤魔化して生き延びることに意味を感じない。

いつか来る生きていて良かった瞬間などいらない。

ならば今この瞬間に理不尽に命を奪って欲しい。

 

そんなことを思っているものだから、言葉にも出る。ネガティブな言葉だ。

そりゃあ人が離れるに決まってる。しんどいから。

元嫁さんもそう言っていたし最近も言われた。

おそらく過去離れていったみんなそうなんだろう。

 

困ったことに僕は言われる側に立ってもしんどいと思ったことがない。

「ああ、この人もそうなんだな」と思うだけだ。

結構な数いるもんだから、個人の考え方じゃなくて社会に問題あるんじゃないかくらいは考えるが、結局のところどうでもいい。

何かできることがあれば手伝うし、話を聞いて楽になるなら聞くことはできる。

でも本人になれない僕はその人の悩みの根元にはたどり着けないし完全に理解することはできない。

誰かの死にたいは誰かの死にたいだ。

本当に死にたければ死ねばいいし、本当は生きていたいなら生きればいい。

こっちがしんどいとか、僕にはそれがわからない。

 

正直なところ昨日もうっかり死にかけた。

ガンプラに救われてまだ生きているけれど、いつまでもつのやらという感じだ。

 

 

 

 

 

なかなか止まない蕁麻疹のはなし

非常に蚊にモテる体質だ。

人生にら3回来ると言われるモテ期を全て蚊を相手に幼少期に使い尽くした挙句に余韻でモテ続けている。

 

実家にいたころ、他の家族が蚊取り線香的なサムシングを使わずに窓を開けて寝ているのに、サムシングを2個使って窓を閉め切っている僕だけが刺されたりした。

どうやら命がけで吸いたくなるほどの血を持つらしい。そんなレアなもんだとは思わないのだが。

 

どうせならその効力が人間の女性にも波及して欲しいと切に願っているが今のところ全くその気配はない。人間の女性は血液になぞ興味がないわけだから当然である。血液よりも顔や性格が大事。

 

…ヴァンパイアにモテる可能性はあるな。いたら怖いし、吸われたくはないけれど。

 

さて、蚊の話である。

蚊に刺された時の腫れというのはまた個人差があるようで、僕はまたびっくりするくらい腫れる。

びっくりするくらい腫れた上に雨に降られて化膿し、あまりの痛みに蜂に刺されたと嘘をついたことさえある。

蚊にとって美味い血だからお礼にたくさん毒を入れてくれているのか(そんなお礼はいらない)、蚊の毒に対して僕の体が過剰に反応してしまうのかは未だもってわからないし、世間一般の腫れ方がどんなものかはあまりわからないが、過去に何度かこの話をして一笑に付された挙句、実物を見せて引かれるということをしてきたので間違いない。

 

昨年の夏前、毎夜やたらと蚊に刺されていた。

またよりによって膝の裏とか、手の指とか、足の付け根とか、痒さがひどいところを刺される。

必ず夜寝てる間で、痒すぎて起きる。しかも掻いてしまうものだから皮膚が破れて傷になる。

しかしそれでも痒くて眠れない。

が、一晩経つと落ち着く。

 

いや待てよ、ちょ、待てよ。

過去の経験上、虫刺されは3日は腫れる。痒みは一晩でおさまることもあるが、腫れはそんな簡単に引いたことがない。

そもそも窓閉めて寝てるのに毎晩蚊が来ているのならそいつは我が家に住んでいるし、僕の血をエネルギーに出産し、近々大量発生してしまう可能性がある。しかし蚊の姿を見た記憶はないし、寝てる時に耳元をぷ〜んとされた記憶もない。

これはもしや虫刺されではないのでは?

ということに気づくまでにほぼ半月。頭の回転が鈍いのにも程がある。

 

この時点で、右足の付け根の皮膚の柔らか〜いところが真っ赤であった。

頭の回転だけでなく皮膚感覚も鈍いらしい。

 

インターネットでもって症状を調べると蕁麻疹の可能性が高いことがわかった。皮膚科だ。

近所の皮膚科を調べて、とりあえずその日に診察ができるところへ行った。

医師が女性だった。困る。

そりゃあ医師からしたら見せてもらわなければ診断のしようがない、しかし見せるということは、見られるということだ。凄まじい緊張感である。

我がポークビッツが姿をあらわすことのないように慎重にパンツを下ろした。

僕の恥じらいなど全く気にせず(気にされても困るのだが)医師はさっと症状を確認し一言

「あー、これは痒いですね。ちょっと強い薬を出しますね」

ステロイド系の塗り薬を処方してもらった。

塗ったら確かに痒みはおさまり、久しぶりに安眠できた。やはりお医者様は頼もしい。

しかし、この薬が第二の悲劇を生むことになる。

 

蕁麻疹というのがそういうものなのか、僕のがたまたまそういう性質だったのかは知らないが、蕁麻疹は範囲を広げつつあった。

足の付け根からいわゆるVゾーンを侵食、同時にお腹のあたりや太ももにも広がっていた。

しかし恐るるなかれ。僕にはこのステロイド入りの痒み止めがある。塗ればたちまち痒みはおさまり、あっという間に安眠さ。

 

これが完全に間違いだった。薬は、足の付け根には効果があるのにほかの部位に関しては全力で悪化した。悪化しすぎてかさぶたみたいになっていた。

しかも広がる速度も増した。

蕁麻疹はへその上あたりから両足の膝までを満遍なく腫れ上がらせ、真っ赤になっていた。

真っ赤になるのは美女の頬だけで十分なのに、40手前のおっさんの下腹部なぞ赤くしてどうする。見るにも耐えぬし何より痒い。

眠れないのと痒さのストレスが拡大に拍車をかけていたとも思う。

寝ているときも無意識で掻いてしまうので、あるとき急に元嫁に腕を掴まれ「音が怖いからやめて」と言われた。

ごもっともである。しかし痒いものは痒いのだ。

不貞腐れてリビングに移動したが、結局寝れず、再度病院へ行くことにした。

 

二度目ともなれば恥じらいや緊張感も薄らぐ。

今日は気風よく盛大に脱いでくれようと思っていたが、医師は話を聞いただけであっさり

「処方した薬は別のところに塗っちゃダメ」という言葉とともに別の薬を処方された。

以前もらったステロイド系の薬とはまた別の塗り薬を処方され、見せ場を失ったポークビッツはいつもよりさらに萎縮していた。

 

病院を別のところにした。

「最初に塗り薬を患部以外に塗っちゃダメと言わなかった」という子供の言い訳のような理由で。

新しい病院では、塗り薬と一緒に抗アレルギー剤を処方された。花粉症のときに飲むアレだ。

 

塗り薬は見事に効いた。痒みは止まるのでなんとか安眠を取り戻した。しかし塗り薬は痒みを止めるだけで蕁麻疹は止まらない。ドンストップラヴィニュー。

 

へその上どころかほぼ腹部全域に広がった蕁麻疹。

不思議なことに足の付け根は出なくなり、腹部方向と足方向に二分割された。

 

ここから蕁麻疹との戦いは泥沼の仁義なき戦いへと移行する。どのくらい泥沼かというと現在もまだ戦っている。

 

蕁麻疹は長引くと慢性化するらしい。

そして慢性化した蕁麻疹により、体が蕁麻疹を出すのが普通と記憶してしまうらしい。

そうなると、薬で症状を抑え長期間蕁麻疹が出ない状態を作ることで「蕁麻疹が出てないのが普通なんやで?」と優しく自らの脳にささやきかけ、本来の状態に戻すしかないそうだ。

 

ところで、蕁麻疹は何が原因で起こるのか。

わかりやすいところでは食べ物のアレルギー等もあるが、ほとんどの場合は原因不明らしい。

腰痛と同じだ。ストレスや疲労の可能性もあるし、それ以外のこともある。原因が特定できれば、原因を避けることでいとも簡単になんとかなるが、原因不明、しかも長期化していると、合う薬を探すしかない。

しかし薬は無数にあるわけで、手を変え品を変え試すしかない。

 

飲み薬を3回変えたところで効果があった。

3回ならば幸運だと思う。10回までは覚悟していた。

 

そこからはずっと薬を飲んでいる。薬を飲めばほぼ蕁麻疹が出ないので、塗り薬は無し。

痒みが出たときはみんなの味方ムヒでしのぐ。

 

そこから一年以上戦いは続いている。今は特定の部位ではなく、そのときそのときで出る。

出やすいのは足の太ももの内側、膝の近く、手の指だ。最近は頭皮や顔にも出る。

最近は蕁麻疹の奴も学習したのか薬が切れるあたりで出てくる。しかも、温度が高いと出やすいようで、これからの季節は修羅場となるだろう。

 

抑えこまないと治らないが、困ったことに強い薬が飲めない。

強い薬は眠気が出る。眠気が出る薬を飲むと意識を持っていかれる。仕事だろうが関係なしに、自分の意思とは無関係に落ちる。

なので、弱い薬でないとダメなのだ。

この虚弱体質め。

 

 

もうあれだ、全身ぷくぷくに腫れて逆にどこが痒いのかわからなくなれば最早痒くなくなるんじゃないか?とすら思うがそんなわけはない。

痒いだろう。全身だし。

 

何度か全身焼いてしまうことも考えた。こんがりしてしまえば腫れないし、痛みでそれどころではないだろうと。

阿呆だ。痛い方が辛かろうに。

人間追い詰められると変なことを考える。

変なことを考えているのに画期的なアイデアだと思えてしまうあたり、始末が悪い。

元が阿呆なら尚更だ。

 

 

 

ガンプラ作りのこと

草木も眠る丑三つ時。

自転車に乗った酔っ払いが何かを熱唱しながら走り去り、隣のアパートの住人が口笛を口ずさんでいる。

 

うるさいよ。眠れよ。草木も眠れないだろうが。

 

そんなことを思いながら玄関先でタバコを吸う。(室内禁煙ではないが、清掃料を追加で払うのが嫌で吸わない。ただのケチだ)

眠れよ。と言いながら僕も起きている。

仕方がないよね。夜勤だもの。平日ならバリバリ勤務中の時間だもの。

自分を許す言い訳は無数に出てくる。自分を許すように他人を許す度量が欲しい。

たびたびそんなことを思いつきはするが、たびたび思いつくということは改善していないということだから諦める。こうしてまた自分を許す。

 

夜中にやることは昔から変わらない。だいたいゲームをしている。実家にいたときは親が眠った隙をつくように、一人暮らしのときは学校をサボって、結婚生活中は元嫁の話が終わったら。

今は自分の次の日の体力と相談して逆算して導き出した睡眠時間ギリギリまで。

無計画にゲームだけしていたあの頃に比べたらなんと計画性のあることだろうか。

素晴らしい成長である。他人から見たら50歩100歩どころか1歩も前進していないかもしれないが、時間の計算が出来る程度には成長している。

これを成長と言わずしてなにを成長というのか。

ここまでドヤると、単に体力が無くなって無尽蔵にプレーできないという現実的な制約がもたらした結果だとは怖くて言えない。言うけども。

 

最近はゲームだけだと目が疲れる(これも最近自覚した。歳だ)ので、箸休めにガンプラを作る。

何故目を疲れさせた上に細々した作業をするのか、という疑問は意味がない。

しょっぱいものと甘いものを交互に食べれば無限に食べられるという謎原理と同じだ。

こちらはゲームとガンプラを交互にやれば目が疲れないという謎原理だ。謎を解明しなくても結果があるのだから問題ない。

 

ガンプラの楽しみは難しい。

組み立てている最中は、なにを好きこのんでこんな細々した作業をしているのかわからなくなる。

同じ姿勢が続いて背中はバキバキに痛むし、間違って指を切ることもある。

ゲートの処理は手間がかかるし、まず説明書の番号を読み取ってパーツを切り出すことさえ一苦労だ。いつだって投げ出したい。ちっちゃいおっさんがこっそり組み立ててくれないか。でもおっさんもきっと面倒だろうから結局自分で組むしかないのか。

金を払って組み立てを依頼することもできる。だが組み立てプラモデルから組み立てを取ったらいったい何が残るのか。完成品である。いいことだらけではないか。しかし依頼する金でもう一つガンプラが買える。ならば買おう、ガンプラを。こうして積みプラが増える。無限ループだ。

 

プラモデルとの付き合いは長い。

最初は多分小学校に上がってすぐ。ミニ四駆との出会いがあった。

烈&豪ではない。ダッシュ四駆郎の時代である。

まだミニ四駆スパイクタイヤを履いていた。

初めて買った(買ってもらった)のはサンダードラゴン。勝手に親父に組み立てられて激怒した記憶がある。

漫画のようにミニ四駆を追いかけたが、無改造のミニ四駆相手でも小学生の走る速度じゃ全く追いつかない。多分大人でも厳しい。

あれに追いつく四駆郎達は余程の俊足か、実はミニ四駆が相当遅いかだ。多分全員俊足。オリンピックに出たら歴史が変わるだろう。

 

ここからどっぷりミニ四駆にハマるわけだが今日はガンプラの話だから割愛。

 

はじめてのガンプラZZガンダムだ。

ちょうどリアルタイムで放映していた、僕にとっての初ガンダムである。またちょうど良いことに初めて見た回がZガンダムが敗れZZガンダムの初登場回。

 

電車にも車にもあまりハマらなかった僕はロボ沼にハマった。頭からビームが出る!!最高だ!!

ガンダムファンの中ではあまり評価の高くない(子供向けすぎた)ZZガンダムはまさに子供であった僕にとっては最高のロボアニメだった。

もしこのとき見ていたのがザンボット3イデオンだったらロボ嫌いになっていた可能性もなくはない。

…ないな。ロボはいい。カッコいいんだ。

 

当時のガンプラはまだはめ込み式では無く接着剤で作るものだった。接着剤の存在を知らない僕は打ちひしがれ、しばし放置している間にまたしても親父に組み立てられた。善意だったかもしれんが大きなお世話である。

人の手で組み立てられたガンプラは自分のものではない。組み立てる過程も含めた体験こそがガンプラであり、自分専用のモビルスーツを持てるという感覚に近い。

ガンダム好きにとって専用モビルスーツがいかなる価値を持つものか、説明するまでも無い。

 

…奇しくも自分で勝手にガンプラの組み立てをサボれない理由に辿り着いてしまった。

 

自分の好きなモビルスーツを自分の手で組み立てる。この楽しみが今の僕を生かしている。

離婚のショック(詳細は申し上げかねる)により結構な頻度でうっかり自殺を考える程度にはメンタルがやられているので、思考を忘れて没頭できる時間はありがたい。

 

うっかり夜が明けていたり、うっかり日付が変わっていたりするが、それだけの時間没頭できるというのは素晴らしい。

特に世の中に対して何かを生み出してはいないが、僕はそのとき僕の専用モビルスーツを生み出す。

 

 

 

 

公演告知

酒を飲める人は羨ましいなと思う。

正確には飲んで楽しくなれる人、かな。

 

思考を追っ払いたいんすよ。しんどいときは特に。

アホになりたい。いや、とっくにアホなんだけど別方向の?

 

とりあえず、ちょいとやなことあってもやるべきタスクがあるとそこに集中することができるんじゃないかというネガティブな感情を前面に押し出す形で作成してる公演告知でございます。

 

今回、作・演出のスワンさん(白鳥くん)含め、一人を除き完全にはじめましてなんで、ほんとにどうなるかまだ予測つかないんですけど、面白くなったらいいなと思ってます。

 

シアター711は椅子がめっちゃ心地いいので、そこはマジでオススメです。

 

そんなわけで以下詳細。

 

 

 

制作「山口ちはる」プロデュース

『W PLAY』作・演出:白鳥雄介

@シアター711

2019年4月10日(水)~14日(日)

 


【公演日程】

4月10日(水)19:30

4月11日(木)19:30

4月12日(金)14:00/19:30

4月13日(土)14:00/18:00

4月14日(日)14:00

 


【チケット】

前売一般:3500円(学生:3200円)

当日一般:3800円(学生:3500円)

 


【予約フォーム】

ticket.corich.jp/apply/98693/007/

 


【Webサイト】http://yamaguchiproduce.wixsite.com/mysite

 


【あらすじ】

この日、劇場は色めき立っていた。

「4月10日~14日にこの劇場で、全く同じタイムスケジュールで上演する演目が2つある……?………」

目の前には、とんでもない枚数を撒き終えた公演チラシが2種類。

上演スケジュールはものの見事に被っていた……。おいおいおいおい……
上演するのか!?どっちを!?……どっちも!!!!????

とある小さなミスから始まった大ピンチのダブルブッキング!

責任の所在と、それぞれの思惑と、都合の良さが入り乱れ、全員揃って土俵際!

予測不能で払い戻し不能なHyper Emergency Comedy!!!!開演!?

 


【出演者】

岩田葵

大川内延公(演劇制作体V-NET/ラビット番長)

加藤ひろき

岸野佳乃子

佐々木恭平

清水明

ソノダショウタ(はりねずみのパジャマ)

角田佳代(劇団フジ)

つりはるこ

十河大地 (宝映テレビプロダクション

西澤香夏(ソラカメ)  

廣瀬 綾(T1project) 

古越千香子

山口詩菜 (宝映テレビプロダクション

行成小夏   

 


協力欄:演劇制作体V-NET/ラビット番長/劇団フジ/T1project/宝映テレビプロダクション/とがったぴーなつ/ソラカメ/はりねずみのパジャマ/MICOSHI COMPLEX

やらかした

エースコンバット最新作、スカイズ・アンノウン発売まであと24時間ちょっと。

 

「俺、仕事が終わったら空へ旅立つんだ」という死亡フラグじみた妄言を吐き散らす日がもう目の前。

 

なのになんで17日全日仕事いれた俺!!!!

もー!!!バカー!!!

 

2019年がはじまってました。

前のブログから一年経っちゃってるやん。

引くわー。我ながらひどいわー。ドン引きだわー。

 

そんなわけで(どういうわけだよ)

2019年になりました。

 

昨年のブログを自分でも読み返してみたけど、ひどい。ひどすぎる。

人頼みにもほどがあるし、なんならほぼ10割達成されてない。

「魂にも脂肪は付くのだな、軍曹」

お腹にお肉が乗ってきただけでは飽き足らず、魂もブヨブヨになっていたみたいです。

すみませんバラライカ姐さん。と、オクレ兄さん

 

実のところ、昨年のほとんどを費やしてぼんやり考えていたのは、何故僕から人が離れていくのか、でした。

 

①人格が悪すぎる

②人付き合いが悪すぎる

③口が悪すぎる

④芝居が下手すぎる

⑤そもそも人は近づいてきていない

⑥なん、だと…?

⑦ユメは見れたかよ?

⑧邪眼!?そんな馬あべしっ!!

⑨死

 

と、こんなプロセスを日々繰り返して結局答え的なものに行き着かないまま、多分、いや絶対俺が悪いんだけど、実際どうすりゃいいのかわからんわって結論になり、よしもう一度原因を考えて以下略のループを一年やってました。

まさにアホの所業。

なにがアホって答えが一つも出てないこともアホだけど、これを一年繰り返したことがアホだと思う。

どこにも進んでへんやないかと。

 

昨年は特に才気溢れる若いクリエイターに一度に大量に会ってしまったり、知っている人達が何かしらの結果を出している報告を聞いたり、ラジバンダリ(古い)と、周囲のキラキラが致死量に達してしまい死んだ魚の目タイムに突入。

なお、死んだ魚の目タイムの確変継続率は99.9%。

大当たりをもぎ取った『沼』のように際限なく「お前は早く死んだ方がいい」の出玉が大量放出された結果、まだまったく蔓延していないインフルエンザにかかり、夜中によくわからない鬱ツイートをまき散らして昔見たトラウマドラマをネットで検索して特定。翌朝まで眠れずにようやく病院の開く時間になったので行ってみたらすでに大量の人が並んでて混乱し、さらには医者に「よ!調布でインフル一番乗り!」と囃されるという風が吹けば桶屋が儲かる的なカオス理論を身勝手に感じてました。

 

こんなアホなんで、今年も引き続き同じことを考えながら、せめてもう少し人間らしく生きられるように、あとエースコンバットの最新作を楽しみになんとか生き延びてみる予定です。

 

遅ればせまくりですが、今年もよろしくお願いいたします。